歩いての観光ではなく熊本を車で廻ったことがある人は、特に熊本城周辺は道路が歪曲していて向かっている方向が怪しくなる。そう不満を抱くようです。加藤清正は熊本城を築城する時に、最も起伏に富んだ場所を選びました。そして土地を整地するで無しに生かして周囲5キロを超える、お城を造ったのです。記憶の違いでなければ宮城の周囲に匹敵する広大さだと言います。

熊本城の天守、本丸御殿がきちんとカメラに収まる位置からお城に向かって5分ほど歩きました。するとどうでしょう、手前にある櫓に隠れてしまいました。

現在では内堀だった塀の内側を熊本城としていますが、城下町=上通り、下通、新町など中心部の外側にある白川が外堀に当たります。熊本城はこの外堀から外側からもはっきりと分かるように作られていようを示しているのですが、天守を目指すと近づいていくほどに見えなくなっていきます。

遠くからも見える様に作られていたという織田信長の安土城とは、この辺が考え方の違いですね。

天守は大天守、小天守と二つ並んで見えるはずですが、その周囲にある櫓も近くから観ると天守にそっくり。外からの攻撃が天守に及ばないマジックと成っています。


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