菅井さんは、戦後昭和の青年像の一つをシンボライズしたものではないのでしょうか。水木しげるさんの半生を妻、布江さんの目から描いた「ゲゲゲの女房」。折り在る毎に夫の少年時代の様子を聞いて目を輝かせる布枝。戦後の混乱期に結婚した夫婦には当たり前のようなことが、観ている視聴者はどう観ているのでしょう。

番組予告で妖怪のアニメーションが合成されていたことや、NHKが水木しげるを取り上げるなんてという声を聞きましたけれども番組始まったら観なくなった人。一方前評判では気乗りしなかった人たちが興味深く見始めたりと、また、水木プロダクションが出来るくだりからしっかり乗り出してみている人たちも今した。「悪魔くんの映像が見られるかな」と期待を寄せていたツイッターの友達もいます。

 

ゲゲゲのアシのスガイさんのモデルは誰なのかな?

左から、水木しげるさん、北川和義さん、つげ義春さん、池上遼一さん。ゲゲゲの鬼太郎のコミックは多くの種類が発売されていますが「少年マガジン・オリジナル版」の第一巻に、池上遼一さんの解説文が収録。池上遼一さんはテレビ(NHK連続テレビ小説 ゲゲゲの女房)では倉田圭一という名前でした。それによると、つげさん(同テレビ番組では、小峰章)とアシスタントになった頃には水木しげるの貸本時代のマンガ家が何人も手伝っていたようです。

ゲゲゲの女房の中で講談社(雄玄社)編集長が「印刷したらベタにしか見えないでしょう」と書き込みのこまやかさに感嘆していましたが、水木しげるさんの漫画はとても独創性に富んだもの。メディア(貸本)にあわせて描かれていたものではないので、今の高画質印刷にも絶えうるわけですが手伝おうにも貸本漫画の腕利きの作家さん達でも手を焼くものではなかったのでしょうか。恐らく点々打ちか枠線引き、べた塗りがほとんどだったのは仕方のなかったことだと思います。

貸本漫画と言えば、現在に置き換えたら毎週締め切りに追われているアニメーションのようなもの。優れたアニメーターは多くいますけれども、求められるのは均質な画。これこそいずれパターン化されてしまう文化かも知れません。

パターンと言えば、わたしの小さい頃にはちょっと大きめの文具店に行けば数多くのスクリーントーンが買うことが出来ました。点々の種類どころか、そのまま貼って背景画になる様なものまでありました。点々も色々な種類が今ではパソコンで容易に出来るので、一つ一つを手書きしていた凄まじさはどれほど伝わるのかしら。砂かけ婆の顔の点々を菅井さんが書いていたかも知れないと思うと、ゲゲゲの鬼太郎を観る楽しみ方も増えますね。小さい文庫、コミックで観るよりも週刊誌サイズで味わいたいものです。

ゼタの深沢さんに預けた漫画の原稿が紛失するエピソードがありましたが、実際は別の出版社の有名な話しがありますが数多くあったのではないかな。後に描き直されて発表されていたと記憶しています。今だと著作権が厳しそうですね。

菅井さんは多くのアシスタントさんの人格の集合体のようなところがあります。貸本時代のマンガ家さん、水木さんを頼って集まってきたマンガ家の卵。「テレビくん」が講談社漫画賞を受賞してからは、多くの人が頭の中に描いていたようなストーリーだし、親しみやすい絵柄に自意識の強いマンガ家希望も多く訪れたことでしょうね。時代は高度成長期、働く場所、活動する機会は今とは180度違っていたでしょうから「点々打ち」に集中した菅井さんのような存在は昭和という時代を映しているように感じながら、今日も「ゲゲゲの女房」を楽しんでいます。

尚、初期のアシスタントに「五郎くん」という食べることだけで居着いていた存在(これがテレビでは貧乏神に転じてるのかしら)もあるようですけど、北川和義さんは栃木県出身のかんぴょう農家の息子だと言うことですので、菅井さんは北川和義さんだと観ても間違いではないでしょう。人間、水木しげるではなくて、マンガ家水木しげるを身近で見つめていた歴史の立会人としてキーパーソンと言えます。水木プロダクションの重要人物、実在する鬼太郎・・・?、とは言い過ぎとしても「妖怪」であることには間違いないですね。

 

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