行方不明の子供を探しています。ちょび髭の男と一緒にいると思われます。心当たりがありましたらご一報ください、謝礼をお渡しします。
新聞に簡潔に掲載されていると、何故かちょび髭の男は悪人扱い。逃走中の風体に観られてしまうのも、気の毒ではある。

この映画を観る方に微笑みの時間を、そして一粒の涙も、多分。

女の罪は子供を生んだこと。慈善病院だろうか、赤ん坊を抱いた若い女が出てくる。罪というのは不倫の子供なのか、宗教上のことなのか。未婚の出産だったのだろう、身寄りがないので金持ちの家の前に止まっている車に赤ん坊をおいて立ち去る。この車が強盗の車だとは知らなかった。

資本主義の強盗ではなかったことで、赤ん坊はちょび髭の男が拾う。その頃、若い女は後悔して金持ちの家に戻って、庇護を受ける。
それから5年、若い女は名前の売れた女優になっていた。それがちょび髭の男にとっては部の悪いところ。赤ん坊は5年経って、ちょび髭の男の良きパートナーに育っていた。
ガラス売の商売のシーンは、サイレント映画のシンボルといえるユニークで凝縮されている。この映画は6巻組で上演されていたようだけど、一部だけが上映されても十分に楽しめただろう。昭和の良き時代には地域の映画館の数は多く、組合の体で共同でフィルムを持ちまわりで上映していました。
自転車の荷台にフィルムを積んで、上映開始の時間をずらした映画館の間を行ったり来たりする職務がありました。それが宅配便やバイク便になっていったのかもしれませんね。

新聞に捜査願いのように取り上げられたことで、捕物風にクライマックスとなるが男の子は母親のもとに。ちょび髭の男も笑顔で暮らせるようになりましたとさ。
1921年公開、大正時代の映画です。主演、脚本、監督だけではなく、チャーリー・チャプリンが音楽も担当しています。リマスタリングされてもセリフはないけど、ガラスが割れる音。音楽は新しく録音し直されています。チャプリンの特有のメロディが窺える。作曲家として自身のシグネチャーを確立している。もっともっとサイレント映画の音楽は見直されて良いと改めて思われる。(チャップリンの映画音楽


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